お経の話

お経って何?
釈尊(お釈迦様)の教えを説いたものが、基本的にお経と呼ばれています。キリスト教の聖書やイスラム教のコーランが1冊の本にまとめられているのに対し、仏教の経典は「八万四千の法門」といわれるように 膨大な量があります。そしてそれらには 苦しみ、悩む人々を悟りの世界に導く 様々な道(方法)が説かれています。人が一人一人それぞれ異なるように 悟りの世界に至るための教えもピッタリくるのは 人それぞれで違うということになります。このことがたくさんの教え(お経)が誕生する原因になったのではないでしょうか。釈尊の入滅後 その弟子たちから「師の話はこうであった」とか「いや私はこのように聞いた」とか様々な意見が出され 口から口へと伝えられてきた教えを検討し 整理編集され 成文化されました。これが『大蔵経』といわれるもので 通常三つの部分から成り立っています。それらは「経蔵」(仏陀の説法を記した経) 「律蔵」(仏弟子として守るべき戒と律) 「論蔵」(教理の研究書である論) といわれるもので 総称して「三蔵」といわれています。西遊記でお経を求めて天竺へ向かう玄奘が三蔵法師と呼ばれるのはこれら三蔵すべてに精通した僧という意味合いです。このうちの経蔵に含まれるものを主にお経と呼びます。

般若心経というのは?
このお経の正式な名前は『摩訶般若波羅蜜多心経』といい、現在最も広く読まれているお経だと思われます。天台宗、真言宗、曹洞宗、臨済宗、浄土宗など多くの宗派で読まれるだけでなく、写経に使われたり、巡礼の時のお経としても親しまれているからです。智慧を完成することにより悟ることを説く経典群の総称を「般若経」と言います。 「般若」とは古代インド俗語の"パンニャー"という言葉を音写したもので「智慧」という意味です。これは真理を知る力という意味で「知恵」とは区別されています。「般若心経」はそれらの般若経の経典群の神髄を わずか260余字で表したお経で【空】の思想が説かれています。ではその【空】とは何かということになります。物質がそこに存在し それを人間が触ったり使ったりしていると思っていますが、実は 私たちがそこに物質があると感じるからこそ それが存在するのではないかと言うことです。例えば 道路で立ち話に夢中になっていて車が来ているのに気づかず クラクションを鳴らされてあわてて道を空ける。この場合クラクションを鳴らされるまでは車という物質の存在が無かったのに音を聞いて初めて車の存在が心で感じられたわけです。物質は心が産み出しているとも言えるわけです。これをもう少し拡大させて考えると、生きていく上でのいろんな苦しみも 心の働きに因るものと言えます。つまり心が無くなれば物質も苦しみも存在しなくなってしまいます。いわゆる"無心"といういろいろな物や事にこだわらない状態です。般若心経は こだわらず淡々と生きよと説いているわけです。
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